2003年2月。
フェスという形が世間に認知され始め、フジもサマソニもようやく、そのスタンスを固め始めたその時期。
Mgick Rock Ootという冬のフェスが開催された。
そのシステムは・・・Rock Out方式。
つまり「帰れない」んだよー。
まあ、なんとかなるだろう、と青かった我々を冬の幕張メッセは飲み込んでいった。
開演。バックドロップボムをステージ脇で座ってみる。
お尻が冷たい。
RADIO4がスタート。
アルバムを持っていたものの、ノリがなんというか、イマイチなので
ここも観察を決め込む。
クレイジータウンが開始。
実はあまり知らなかったが、「一汗かこう」の言葉でモッシュゾーンに突っ込む。
軽く暴れてショップエリアに戻ると、ツレがスティックを抱えて「もらった」とゼエゼエ言っていた。
ARLOを見ながらやきそばを食う。
これもCDの方が出来がいいなあ。
そしてベテラン。WILCO登場。
実はアルバムを聞く限り、ピンと来なかったWILCOだったのだが、LIVEは秀逸。
これは流れの中で発見する何かを見つけた気がした。
WILCOは上手い。ハッキリそう感じさせてくれた演奏である。
そして。
ようやく来た。フーファイターズ。
個人的に鬱憤がたまってるんで、爆発させてもらいまっせ。
新作から旧作までバランスよくミックスされた構成。そして、デイヴの愛すべき人柄。
いっけーーー!
人の密集度とメッセ特有の構造のせいで、息が上がってしょうがないが、
とにかく暴れまくる。
ラストのモンキーレンチでは当然のように誰も彼も飛び跳ねて大はしゃぎ。
これ以上ないほど声を上げて応戦した。
・・・・終った。
フーファイの楽しい時間が終ってしまった。
仕方なくビショビショの体でデスインヴェガスを座って見る。
連れはグロッキー。
デスが終ると、皿が回り始めた。クラブステージがスタート。
・・・・って眠い。寒い。
あまりに寒いので朝霧ジャムのシチューを買いに。
すると・・・同じ事を考えたのか、長蛇の列ができていた。
うわあ、炊き出しじゃねえんだから。
そんな中、朝霧ジャムの人が叫ぶ「売り切れです」
会場にこだまするため息。最悪の状態。
死んでしまう。やばい・・・・寒い。眠い。腹減った。
ここはモスクワか。モスクワなのか。
みんな落ち込んで帰る。俺も帰ろうとしたら、ジャムの店員が。
「具はないですし、とろみもないですけど、スープだけのシチューを作り始めました。
パンをつけますのでいかがですか?」と言ってきた。
迷わず飛びつく「買います」
イエスキリストの時代から、パンとスープは市民の憧れ。
うれしいなあ。
こうして、連れの分もあったかスープとパンを購入し、
DJがガンガン回す中、物凄い温度差で、ざこねしている連れの元へ。
戦時中に、倒れた仲間に与えるようにスープとパンを渡す。
ゆっくりと口に運ぶ我々。
息を吹き返し、「寒いなあ・・・。DJ音でけえなあ・・・。」と呟きながら寝る
5時過ぎ。
「始発が出ます」という声につられて、ヨロヨロとゾンビのように立ち上がる人々。
この光景をみて、企画失敗を悟ったスタッフも多かろう。
わざわざ夜中にやって「帰れない」のは意味ないです。
この後、スマッシュは04にプライマル、イギー、ken yokoyama(ハイスタ)などを揃え、2度目の
マジックロックアウトを開催するも、翌年以降は行っていない。
そして、2003年当時の我々はというと、
朝霧ジャムによって救われた命を感じつつ、電車ってあったけえなあと思い帰路に着いた。
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