〜Special〜 Fuji Rock Festivalの歩き方
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会場での荷物は最小限に

キャンプを張る場合は、雨具以外の荷物をテントにつっこんでくるだろう。車の場合もしかり。

ただし、遠方の駐車場の場合や、電車で参加する場合はどうしても荷物は多くなる。
そうした場合は、チケット売り場のやや手前にあるクロークを活用することになる。
ここは、後ろを良く見ると、宅配便用のでかいコンテナスペースがある。
 
雨風をしのげる為、本来は宅配便を置いておくスペースなのだが、
これを有効利用するため、クロークとして荷物預かりを行っている模様。
会場内に不要な大荷物はここに預けてしまおう。

また、預けるまでも無いが、常に携帯するほどでもない荷物。
それらは会場内にレジャーシートを張って、置きっぱなしにしてしまおう。

もちろん盗難の危険性はあるので、やられても痛くないものだけにすること。
一般的には、寒くなった時のシャツ、雑誌、おかしなどが挙げられる。

陣を張る場合の注意点は、理想は木の下。そして、若干坂になっている所。
なぜ、坂を選ぶのかと言うと、一つは寝たときの気持ちよさ。
もう一つは雨が降った時にシート上の水が下方向に流れ落ちてくれるから、である。

最もやばいのはドロドロの水がシート状でジャボジャボ滞留することなので、位置決めは重要だ。
周囲が土むき出しでなく、芝生の場所を選ぼう。
木の下で若干は雨を防げるとはいえ「完全に濡れない」ということはあり得ない。
その為、荷物はビニール袋に入れてしまう。これも濡れないようにだ。
で、口は必ず下方向に。

ここまでやって上に口を向けている困ったチャンが見かけられるが、
土砂降りの時に、上に向けた口から、袋の中に水が溜まって悲惨なことになっている。

シートは必ず固定用の止め具がついているものを持ってくること。
ホームセンターや激安の殿堂で売っている。さらに、そのシートには適当な石を置いておくこと。
風で飛ばされると、周囲の陣にも迷惑がかかる。

補足をすれば、シートは一日一枚と思ったほうがよい。
どんなに計算してもドロドロになる可能性は捨てきれない。
洗うより捨ててしまったほうが早いので、一日ごとに切り替えよう。
エコが重視されるFUJIとはいえ、洗う効率を考慮すれば何がエコかは判断しづらい。



タイムテーブルとにらめっこしない

FUJI ROCKが愛される理由の一つに、複数ステージとたすきがけのラインナップというものがある。
これはサマソニや他の海外フェスなどでも見られる手法だが、
色んなステージでの演奏が時間をまたがって演奏されており、来場者は自由に何を見るか決めることが出来る。

過去にUDOがおこなったフェスは、
レッチリ、エアロロスミス、矢沢栄吉、Bz、ラルク、The Whoなど錚々たるメンバーを揃えたものの、
ステージが一つのみと言うことで、ハッキリ言ってしまえば、違う客層を強引に一つの会場に集めた結果となってしまった。
参加はしていないのだが、聞くところによるとこれだけのメンツを揃え、盛り上がりは悲惨なものだったらしい。
さらに2年後の2006年に行われたウドー・ミュージック・フェスティバルは悪い意味で伝説になったほどである。
これ以上は語ることは出来ないが、時間があれば「ウドー・ミュージック・フェスティバル伝説」でググッてほしい。
とんでもないレポートのページに飛べるだろう。FUJIがどれだけ熟成したフェスなのかを推し量ることが出来る。。

FUJIは能動的なイベントである。
「自分のことは自分で」というキャッチがあるように、
何かを得たければ、自分で考え、行動しなければ手に入らないのだ。
ステージ間の移動や時間配分など、全て自分で決める必要がある。

同じたすきがけシステムのサマソニと違う点を挙げれば、FUJILIVEの一人観戦者が異常に多い。
会場には複数で来ているのだが、自分が見たいLIVEと他の人が見たいLIVEが違った場合、
ちょっと分かれて後で合流するということになるのだ。

その為、「あっちのLIVEすごく良かった」「そっち行けば良かった」などという会話が日常的に行われる。
この点、サマソニでは協調性の方が重視されがちで、ゆずりあいの精神が見受けられる。

ここで、勘違いしがちなことが一つある。
それは、いわゆるガチガチスケジュール=能動的ではない、ということだ。

大将が目指すのは、ゆったりとした空間での発見や共有。
ラインナップが強力なサマソニでは、どうしてもスケジュールが厳しくなるが、
FUJIの三日間でそんなことをしていたら死んでしまう。
外せないアーティストをいくつか抑えて、あとは、予定を決めずに気ままに見ることをお勧めしたい。
そして、途中退場でもいいので、色んなアーティストを見たほうが良い。
ヘブンから動かないという、ある意味で、受動的でもあり、極めて能動的な選択もあるのだが、
やっぱりあれだけのLIVEがあり、あれだけの空間があるのなら、色んな場所にいってほしい。

毎年、全くノーマークだったアーティストのLIVEに偶然出会って感動し、
東京に帰って、慌てて押さえるという「FUJIの奇跡」に出会っている。
それは勿論、あの空間だからこそ起きた奇跡であるとも言えるが、
だからこそFUJI ROCKはアーティストが発表になる前にチケットが売り切れるフェスティバルになりえたのだと思う。




毎年参加する人々

FUJIROCKERSはリピーターが多い。

実際に参加してみると、LIVEよりもその空間全体に魅了されてしまうことが多いからだ。

FIJIROCKERSがサマソニに行くと、その雰囲気に幻滅して帰ってくることもあるが、
サマソニは、その利便性やラインナップから絶対的に必要性のあるイベントであり、
それはそのチケットの売れ行きが証明している。

サマーソニックはフェス登竜門として、とても重要な存在なのだ。

ただし、サマソニ経験者がFUJIに行くと、その雰囲気に魅了されてしまうことが多い。
これまでフェスティバルと呼んでいたものの価値観が覆されるからだ。

その時点で意外なほどFUJI愛好家になり、サマソニを毛嫌いするようになったりするのだが、
その生い立ちにあるように、FUJIとサマソニは元々兄弟のようなもの。
お互いは無くてはならない存在だと思う。

あれだけの利便性を誇りながら、
2003
年のような奇跡を起こす可能性を秘めた恐るべきフェスティバル、サマーソニック。

毎年、非日常への世界へといざなってくれるFUJIROCK

どちらが良いとは言わないが、みんなでここまで大きくしてきたイベントなんだから、どちらも大事にしたいものである。

FUJIFUJIを保てるのも、フェスをナメてるやつらが来られないぐらいの敷居があるがゆえ。

サマソニで育って、FUJIに挑む。

サマソニ愛好者のFUJI未体験者は、
是非とも、いつかはFUJI ROCK FESTIVALにやってきて欲しいものである。

海の向こうを目標としていたはずなのに、
いつの間にか、わざわざ国外からやってくる人間もいるほどのイベント「FUJI ROCK FESTIVAL」が
日本でできるようになったのは、紛れもなく音楽を愛する全ての人々のおかげなのだから。


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